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カテゴリ:journey(Japan)

鎌倉

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3年ぶり?くらいに鎌倉へ行った。
紫陽花の時期なので、メジャーな観光地は、大変な賑わい。

息子をおんぶして、レンタサイクルで、マイナーどころを回った。




しかし、どこへ行くにも、坂や石段を登らねばならないので、非常に辛い。筋肉痛が。

空いているところは空いていて、混んでいるところは本当に混んでいる。













源頼朝の墓。ここもひっそりしていた。
が、それ以上に、日本史上の大人物であるにもかかわらず、あまりにもさびしい。




これでも、江戸後期に島津重豪(=斉彬の祖父にあたる)が整備したというから、徳川期やそれ以前は本当に荒れ果てていたのだろう。

なぜ、島津家が整備したのか。

島津家は、もともと源氏に連なる家であって、島津荘を領したところから始まっている。その祖・忠久は、頼朝の落胤だったという言い伝えまである。だから頼朝の墓をはるかな後年島津家が整備したというのは、それなりに理由のあることと言える。

とはいえ、あえて"末裔"が頼朝の墓を整備するという行為は、あとで源氏を"名乗った"徳川氏に対する、デモンストレーションでもあるように思える。それは島津重豪の時代、つまり、いよいよ幕末へ突入しようかという時期であるということが興味深い。

もうひとつ、頼朝の墓のさらに奥に面白いものがある。




鬱蒼とした石段を登ると、開けた場所が現れる。




先日の台風で、巨木が倒れてしまっていた。




階段は、2本伸びている。







登り切ったところにあるのが、大江広元・毛利季光、そしてさきほどの島津忠久の墓である。

大江広元は、鎌倉幕府に仕えた重臣で、その子季光は毛利荘を領したことから毛利の姓を名乗るようになったという。そう、元就、そして長州藩につながる毛利家の祖である。

この墓所もまた、幕末に長州・島津の両藩が整備したものだが、たまたま、と言えばたまたまだが、この両藩がさらに後年手を組んで、徳川幕府を倒すことになるのだから、因縁が感じられて面白い。

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杉本寺。この苔むした石段が非常に趣深い!







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鎌倉文学館(旧前田侯爵別邸)も初めて行きました。




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この日は横浜に泊まった。一度行ってみたかったホテル・ニューグランド。










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朝、中華街で食べたお粥がやたら美味かった。

薩摩半島記

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妻を鹿児島へ送り届けてきました。
目的はそれのみなのですが、今回もお義父さんに色々と連れていって頂きました。
私もだいぶ鹿児島には詳しくなりましたが、見どころも美味しいものもまだまだ沢山ありました!

錦江湾に浮かぶ知林ヶ島。島と本土(薩摩半島)とが、ある時期の干潮時、砂州で結ばれます。


向こうに見えるのは大隅半島です。

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