米海軍厚木基地を見てきました
- カテゴリ:
- journey(Japan)
抽選に当たりまして、米軍の厚木基地を見学して参りました。(基地のサイトの写真にいましたw)
首都圏にある米軍基地といえば横田基地(空軍)、キャンプ座間(陸軍)も有名です。こちらは海軍の施設で、正式には米海軍厚木航空施設と海上自衛隊厚木航空基地からなっており、滑走路は海上自衛隊が管制を行う、というような、日米共同運用の施設です。
米軍基地としての役割は米海軍第7艦隊の後方支援ということで、空母ジョージ・ワシントンの艦載機のメンテナンスなどなどを行っています。
面積は東京ディズニーランド10個分超。米海軍が3,000人、働く日本人が1,000人。そして海上自衛隊が2,000人超という、非常に大きなものです。「厚木」と名前がついていますが、実は厚木市に所在しているのではなく、大和、綾瀬、海老名の3市にまたがる格好です。
で、雨で写真はあまり撮れず。
さて、相鉄の駅から徒歩20分くらい(けっこうしんどい!)。
正門前の横断歩道を渡ると、歩道に「米国海軍管理区域」という文字。正門は和風でなかなかユニークなデザインなのですが、保安上の理由から撮影はNG。
海軍の青い迷彩を来た女性兵士にパスポートを見せ、中に入ります。
日本人たちによって建立されたマッカーサーの銅像が出迎えます。「日本の民主々義の父 マッカーサー」とありまして、早速、なかなか色々考えさせられます。桜が美しいですが、やっぱり雨w
A-4スカイホーク、F-4ファントムといった、往年の著名機が展示されています。
芝生の綺麗な競技場。ここで日本の高校生と、米軍の子息の人達とのラグビー親善試合も行なわれているとのこと。
フードコート。支払いはドルです。サブウェイやタコベル、フライドチキンやピザのお店ということで、カロリー高め。ドリンクはSサイズでも十分な大きさでした。米軍のひとに混じって、家族や子どもたちも食べにきてました。
壁掛けのTVではNBAが流れてました。
基地ではソフトバンクが主流のよう。窓口もありました。
マクドナルド。外では絶賛キャンペーン中の、てりたまシリーズの取り扱いはないらしい。
ガチャポン。あまりかわいくないw
チャリティーも盛ん。ちょうどいま、海軍では性的暴行やその被害についての啓発活動が行なわれており、こちらでも資料やグッズを配布していました。
海上自衛隊の施設としては「厚木エアターミナル」が。硫黄島をはじめ、那覇など、国内各地の自衛隊施設との定期便が出ており、一般の空港そっくりなカウンター、出発ロビーが。
HSM-77を見学
第5空母航空団第77海上攻撃ヘリコプター飛行隊"セイバーホーク"(HSM-77 Saberhawks)のハンガーを見学しました。司令官ウィットフィールド中佐、マスコットキャラ"ミスターホーク"の出迎えを受けました。
この部隊は、SH-60Bヘリを運用、最近ではフィリピン地震の災害派遣にも従事したとのこと。
パイロットたち。女性も複数。
出発前にはポップコーンを食べるのが部隊の伝統だそう。
司令官搭乗機。
空母ジョージ・ワシントンの艦載機であることを示している。
整備の真っ最中。
戦争の記憶
冒頭のマッカーサーでお気づきの方も多いとは思いますが、マッカーサーと聞いて誰もが思い出すであろう、パイプをくわえて滑走路に降り立つ写真。あの滑走路が、まさにこの厚木基地の前身、帝国海軍の厚木航空基地でありました。
そういえば、以前、第一生命ビルのマッカーサーの執務室を見たことがある。(ちなみに、"執務室から皇居を見下ろし…"的なイメージもあるかもしれないが、実はこの部屋の窓から皇居は見えない。)
さて、終戦直後には、徹底抗戦を主張する小園安名大佐率いる第三〇二海軍航空隊の武装解除を巡って緊迫に包まれた歴史もあります。先年、その旧海軍の司令部の建物も取り壊しとなり、敷地内に往時を偲ばせるものはあまり残っていないようで、たとえばこのトーチカ(のようなもの)、
あるいは、いまは教会として使用されている旧武道場、そのくらいのようです。
また、敷地内の工事の際には、終戦後破却された「月光」の部分などが出土したそうです。
マッカーサーが降り立った滑走路、現在では米軍のF/A18スーパーホーネットや海上自衛隊のP-3C、US-2、そしてYS-11(堀越二郎設計!)などが使用しています。(YS-11は、現在ここにいる機体も含め、すべてが今年度中に退役してしまうだろうとの説明でした。)
海上自衛隊の資料室には、「大空のサムライ」で有名な坂井三郎氏の揮毫がありました。2000年9月、坂井氏は厚木基地で行われた米軍のパーティに招待され、そこでこの書を認めたという。その帰りに体調不良を訴えられ、そのまま亡くなられたとのことで、坂井氏最後の揮毫と言われているものです。昨年末、米軍側から自衛隊に寄贈されました。
見学を終えて
着任する兵士は、まず日本の文化や伝統、マナーを知る研修からはじめるそうです。
我が国の米軍基地は、その大半が沖縄にあるということで、きょうも普天間のことがニュースになっていました。この厚木基地も、発足以来周辺地域も発展、騒音問題や、まさに正門をくぐってすぐにあったファントムが住宅街に墜落する、といった事故なども起きており(これについては昔絵本で読んだこともあった)、付近に住む人々にとっては深刻な問題があることも忘れてはなりません。
基地の外周を走るマラソン大会など、施設内では頻繁に米軍と自衛隊との交流が行なわれているようですし、基地の外とも、施設の一般開放以外にはお祭りやボランティア活動への参加、また近隣の小学校の英語の授業にアシスタントとして参加、5、6年生は基地に招き、先ほどのフードコートでこれまで習った英語を実際に使ってみよう、という試みも行なわれているそうです。逆に、基地内の子どもたちがそうした小学校を訪問することもあるようです。
何につけても、どう思うか、受け止め方は人それぞれでしょうが、想像で補えることには限界があるでしょうし、実際に自分で見て、歩いてみることで発見することも多く、その重要性をいつも感じています。"大人の社会科見学"もブームと言われて久しいです。まぁ、社会科見学と言っては語弊があるかもしれませんが、僕も可能な限り、いろいろな"現場"を見ようと常々思っていて、首都高の建設現場や浄水場、自衛隊など、いろいろ見させていただきました。
今回も、米軍と自衛隊の協業の"現場"を見ることによって、日々耳にする「日米同盟」といった単語を、なんというか、字面ではなく、より立体的で深みをもって体感できたように思います。
せっかくの桜の季節にもかかわらず、当日はひどい雨で、返す返すも残念。