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▼帰宅途中、スマートフォンで"飛ばし読んだ"記事のひとつ、となるはずでした。

アンパンマン無断上映容疑 自称映画興行者の父子逮捕、全国で1000回超か - MSN産経ニュース

本当に何気なく読んでいて、「そんなこともあるのかな」という程度で、次の記事へ行く、というところでした。

ところが、「北海道から鹿児島まで車に映写機を積んで回った。」この一文を読んだ瞬間、久しく思い出すことが無かった記憶がどんどん蘇ってきました。

▼それは、僕がおそらく小学校3年生か4年生くらいの時のことでありましょう。
他所の学校もそうだったでしょうが、放課後の校門の前では、学習塾だの教材だのと、児童相手に業者がオマケ付のビラを配るなどの勧誘が行なわれていました。

そのひとつに、「映画の上映会」もあったわけです。
土曜の午後だったと思いますが、数百円の料金で、体育館でアニメの映画が見られる、というようなものです。おそらくは数本立てて、脈絡のないラインナップも多々あったように思いますが、僕は見に行ったことが一度もありませんでした。

それがどのような理由だったのか、また、誰に誘われたのか(あるいは自分から行く気になったのか)、全く思い出すことができないのですが、ともかくも、ある土曜の午後、小銭を握って観に行くことになったのですね。

そのおっさんは、お世辞にも綺麗とは言えない、古いワゴン車に乗って現れ、ひとりで映写機をセットしていました。暗幕が引かれ、上映がスタートします。「ドラえもん」、でした。
けれども、それはいつもの(我々が期待していたような)「ドラえもん」ではありませんでした。

車いすの少年が登場し、ドラえもんやのび太に助けてもらいながら、どこかへ一緒に遊びに行く…、というようなものでした。普段テレビや映画で見ているものとは少々異なるテイストに、開始早々「これは偽物ではないのか?」という考えが頭をよぎりました。ただ、セリフの声は、紛うことなき、いつもの彼らの声なのでありました。

学校行事ではありませんので、その場には先生も居ない。いつもそうなのかはわかりませんが、子どもたちばかりの事です、私語を始める者、立ち上がって遊び出す者なども出始めました。おっさんは、いちいちそういう連中を怒鳴りつけておりました。

……「この雰囲気は一体何だ…??」

▼と、思い出したとは言え、僕の記憶の断片はこんなところです。(そう言えば、手作り感が漂うチケットには、確かに、「福祉」「◯◯協議会」「推薦」と言ったような言葉も並んで居たように思います。)
肝心の映画の結末についても、全く覚えては居ないのです。

結局、僕の心に残ったのは、のび太たちが少年を「けんちゃん」と呼んでいた事、子供心に感じた、そこはかとなく漂う物悲しさ、(今にして思えば、それはその作品が持って生まれた、語りにくい事を語ること、啓発のためという、使命ゆえのものだったのかもしれませんね)、おっさんのいかがわしさ(決して人を見かけで判断してはいけないのですが、どうしても、作品のイメージとその方のアトモスフィアとは、重なり合うものではなかったのですね。)

と、そんなことで、その類の「上映会」に足を運んだのは、その時が最初で最後になってしまいまして、ハッキリ申し上げて、後味の良い思い出では決してないのです。どちらかと言えば、奇妙な思い出と言っていいかもしれません。

▼さて、二十数年の間、澱のように沈んでいた、そんなことどもが一気に心の中に立ち上がってきて、あれは一体何だったのか?と、どうしようもなくモヤモヤとした気持ちになって来まして、次の記事を読む手は、ブラウザの検索窓に文字を入力していったのです。

便利な世の中になったもので、もう数秒後には、僕はその作品についてのアウトラインについてを知ることになりました。そういうタイトルで、ストーリーだったのですか…。

ドラえもん ケンちゃんの冒険
映画 ドラえもん ケンちゃんの冒険 - 【 時空遺産 ~ わが青春のノスタルジア ~ 】

そして、これが正式な作品であること、現在ではほぼ視聴することができない状態にあることを知ることになりましたが、それ以上の情報を得ることはできませんでした。そこで居てもたっても居られず、元同僚で「封印作品」の研究でも知られる安藤健二氏にLINEで尋ねてみることにしました。氏もまた、かねてからこの作品について知ってはいたそうですが、残念ながら視聴したことは無いということでした。

▼ともかく、本作品はおそらくある時期まで啓発目的・教育目的ということでフィルムの貸し出しが盛んになされていたのではないかということ、また、件の興行師のおっさんは、それを利用して、教育目的/営利目的というグレーな線上でビジネスをしていたのではなかろうかと、一応の結論に達したところです。映像自体は、どこかの団体の倉庫に、フィルム、あるいはVHSやβとして残ってはいるのでしょう。

平成もまだヒトケタの頃は、冒頭に挙げた記事や、僕の見たおっさんのようなタイプの興行師も珍しくは無かったのでしょうね。(その方がそうでなかったとしたら、お詫びしなければならないが。)

▼さて、その効果はさておき、今も当時も人気アニメの「ドラえもん」を通して、啓発や教育を目的とした、このような意欲的な"番外編"が作られていたということは、もっと知られていてもいいのではないでしょうか。

一方で、なにゆえ本作品が封印状態となっているのか、です。もちろん、古い作品であるから、上映や放送の機会が減少していくのは仕方がないことだと思います。
この作品に限らずですが、別な見方をすると、制作も上映・放送も、それはそれ、これはこれだと、TPOとアウトプットがどんどんと分化していってしまった歴史があると言えるのかもしれません。

制作サイドの変化、視聴者の変化、様々な理由で、メディアが実現したくても実現できないことが増え、表現の幅そのものも狭くなっているとの指摘も度々目にするわけですが、そのような中でこうした取り組みが忘れられてしまったり、新たなチャレンジもしづらくなっているとしたら、それは少し残念なことです。

▼話が逸れましたが、思わぬところから、個人的な"点と点"がつながりましたというご報告でした。