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昔、そっち方面にいっている友人が、美大に行くような人というのは、なにがしか、たとえば日々生きてること自体を外に向かって表現したいけど、それを言葉で伝えるのが苦手か、あるいはそれ以外の方法で伝えるのが得意だったりする人なんだ、というようなことを言っていて、なるほどねえと妙に感心したことがあった。

あたりまえのことだが、元来、芸術家ーたとえば小説家や画家や音楽家ーは、アウトプットをいつするのかも、アウトプットすること自体をやめるのかも、一貫して本人の自由なはずで、周囲にとやかく言われる職業ではないだろう。

とはいえ、この近代社会では、それだけでは食って行けないので、当然、"娯楽"と"表現"(あるいは技法)の両立を求められることになるのだし、次いで、売れるものを作らなければならない、周囲が欲しているものはこうだ、それを作れば楽になれる、という自らの葛藤、外からの圧力と闘い続けながら、高い次元で"娯楽"と"表現"(あるいは技法)を両立させなければならなくなっていく。

もちろん、才能のある人ほど、人々が何を欲しているかに敏くなるのだろうし、それに寄り添い続けることもできるでしょう。しかしそれに抗うと、今度は"あの人は変わって"しまったと、ファンは離れていく……僕たちは、歌手でもなんでも、その両方をたくさん見てきていると思います。

だから、自身が納得できる"芸術家"、として生き残っていくということは、実に孤独なことなんだろうなあと思う。ゆえに、"娯楽"と"表現"が両立しえた作品や、それを生み出し続ける"巨匠"というのは、数多くの人が目にするし、議論の対象にもなるわけでしょう。

「風立ちぬ」もそう。(ちなみに僕はとても感動しました。)

それだけに、徹頭徹尾"芸術家"だと思える宮崎監督が、去就について一時間半にわたって延々説明させられている、さらには「公式引退の辞」なんてものを発表しているのを見て、まさに"言葉で表現させられてる!彼はさんざん表現しているのに!"と、ちょっと気の毒に思われたのです。スタジオジブリや鈴木Pに対してならまだしも、別に、マスコミに対しても、ぼくたちに対しても、説明責任なんて端からないのですから。(ビジネス的に畳んでいくのは、鈴木Pや星野社長の仕事でしょうし。)

事実、会見では「これからすることは特に決まってない」「映画を見て下さい」というようなことを何度も繰り返していた。それが隠れもない本音なのだろうし、"芸術家"らしい回答だったでしょう。

もっとも、たいていの芸術家というのは生涯芸術家で、亡くなった時にはじめて周囲はその人の新しい作品に触れられなくなることを惜しむわけだから、まだやれる(と少なくとも周りには思われている人)が引退を表明すると、こうなるんだなあという顕著な例だったろう。ただ、ここまで激しく去就が注目される"芸術家"が、これから出るだろうかという気もする。だからといって、国家なんかがそういう人を一から育成するのだ、という議論もまた違うと思うのだが。

というような、当たり前のことを再確認いたしました。

今夜、見るのは何度目かわからない「紅の豚」をテレビで見ていたら、台詞のひとつひとつや舞台設定、ポルコ・ロッソのあり方が、ラストシーンも含めて、宮崎監督そのものの葛藤に思えてきてならなくて(笑)。
そして、"闘い"を続けている庵野監督(宮崎監督が、彼の作品を好きかどうかは別として)に何かを託したように見えるのも頷けるなと、なんだかそんなことを考えてしまった。

僕は、宮崎作品を全部見ているわけではない(でもトトロやラピュタや魔女の宅急便は少なくとも10回以上観てます)し、好きな作品もそうでない作品もあるから、あまりえらそうなことは言えないのですが、3年ぶり4度目くらいで、やめるって言ったのにまた作るのかよ、というのを心のどこかで待っている一人であることは確かなようです。きょう2歳の誕生日を迎えた息子と一緒に、いつか「新作」を見に来たいんですよね、やっぱり。寝かし付けるためにチャリに乗っていて、併せてそんなことも思った


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※自転車で走るコースに、日産自動車荻窪工場跡(今は団地)がある。ここは戦前、中島飛行機荻窪製作所で、零戦のエンジンも作っていたそうです。宮崎監督のお父さんも来たことあるのかなーとか、そういうことを思ったりもしました。