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GMTに帰ったついでに、家族で人吉を旅行した。
熊本からは車で1時間半程度、肥薩線も通っているので、日帰りでも行ける土地である。そのためか、この向こう、鹿児島は旅行気分で何度も訪れているのだが、人吉については、実はじっくりと観光をしてみたことは無かった。

人吉藩は、隣の薩摩藩同様、鎌倉時代からの領地を明治に至るまでそのまま維持した、全国でも珍しい藩だ。派手さはないものの、ところどころに700年近い伝統を感じることが出来る。出身の著名人で言えば、川上哲治やウッチャンだろうか。戦時中、軍部の圧力にも屈しなかった吉岡文六、また海軍にあって終戦工作に奔走した高木惣吉などは、熊本県人として、県民にももっと知られて良い人達だと思う。

初日、九州は大雨で、球磨川の水も増水していたが、一夜明けるとスッキリと晴れ渡っていた。





町を東西に流れる球磨川には何本も橋がかかる。球磨川は日本三大急流の一つだから、球磨川下りも名物だ。舟を載せた車が走っていた。



球磨川を挟んで北側には旅館や飲食店街、人吉駅があり、南側には、人吉城址や旧武家地を利用した官公庁街が広がっている。



また、明治10年の西南戦争では、熊本から敗走し南下してきた薩軍が、官軍と戦闘を繰り広げたところでもある。八代から上陸してきた山川浩(八重の桜で出てますね)もまた、ここで戦った。



野戦病院になったという永国寺。幽霊の掛け軸が有名で、訪れた二日前には「ゆうれい祭り」が開催されていたという。

 西郷は、徒歩になっている。彦四郎たちの一隊の兵は人垣を作って人目から西郷を隔てるようにすて歩き、永国寺の素朴な山門の前を通り過ぎ、そのまま西へ歩いた。
 先頭には、人吉士族新宮嘉善という若い男が道案内に立っていた。

(…)

 新宮嘉善の屋敷は、永国寺からほど近い。
 かれは西郷に自分の屋敷を宿所として提供し、害意がないことを見せるため自分も家族も親戚に移った。



この屋敷は、今も公開されていて、維新後に人吉城から移築された門は、城そのものが破却された後も残る唯一のものだ。(右手奥に永国寺山門。)





屋敷の向かいには、古い銭湯、またこの銭湯を管理する繊月酒造の工場がある。
人吉の温泉の歴史は意外に浅く、大正期に掘ったら出た、ということで、旅館や銭湯が次々と建った。
しかし"掘りすぎ"のせいか、近年湧出量が減少しており、銭湯は時間を限って営業している。今回、このレトロ銭湯群に入るのがひとつの目当てだったが、いずれも時間が合わず断念。



人吉の焼酎は米焼酎で、とくに球磨川流域で、このあたりの水を利用したもの28の蔵のみが「球磨焼酎」ブランドを名乗ることが許されている。(全国区で言えば、白岳酒造の「しろ」などが有名だろうか。)僕も普段は芋焼酎ばかりを飲んでいるし、芋焼酎ブームに押されて、なかなか飲む機会が無い米焼酎・球磨焼酎だが、今回色々と試すことが出来て、良さを新発見した気がする。








さて、人吉と言えば、近年熊本県ではじめての国宝指定を受けた、青井阿蘇神社の建築物群(江戸初期)が有名だ。



 人吉の町でおどろいたのは、青井神社の桃山風の楼門だった。
 球磨川の北岸沿いの街路を歩いていると、川にのぞんで石段があり、登ってゆくと豪宕な楼門が立ちはだかっていた。

(…)

 この楼門を仰いで感動させられるのは、豊臣期という統一時代にはあるいは僻地というものが存在し
なかったのではないかということである。
「青井大明神」
という額を高くかかげたこの楼門は、京都あたりに残っている桃山風の建造物(西本願寺の唐門など)などよりもさらに桃山ぶりのエッセンスを感じさせる華やぎと豪宕さをもっているのである。人吉盆地という、外界との交通を遮断しているかのごとき地形が相良氏を永く守りに守ってきたように画一的な文化もこの地には入りにくいように主されるのだが、ところが桃山の芸術的気分や様式はこの天嶮を苦もなく廃止、むしろじかにこの地に入っていたことがこの青井神社の楼門を見てもわかる。



境内には、歴代の神官を務めた青井家の屋敷が開放されている。こういうのは珍しいと思う。一見の価値あり。



老神神社という、球磨川の南岸にひっそりと鎮まる神社がある。



老神神社の社殿も江戸初期のもので、桃山風の雰囲気が見て取れる。



話を明治に戻すと、西南戦争時、中洲にあったという社がここに移築されているのだが、丸い穴がところどころに開いている。球磨川を弾丸が飛び交ったことを示すものだ。




今回、熊本からは車でやってきたが、復活したSLが熊本ー人吉駅間を往復している。人気の列車で、予約がなかなかとれない。この日も夏休みということもあって、家族連れで満員だった。うちは発車を見送るだけ。




人吉を後にして、鹿児島へ向かう。今回の目的のひとつに「肥薩線に乗る」というのもあった(笑)

峻険な山間部を走る路線。長いトンネルやループ線、スイッチバック、たいそうな難工事だったというが、それでもあえて海沿いではなくここを通したのは、艦砲射撃があった場合のことを考慮して、という、明治後期ならではの状況があったからだという。

おかげで、今では鉄道好きの人には見所満載の路線になっていて、車両デザインに力を入れているJR九州もそれに答える形で、楽しい観光用列車「いさぶろう」「しんぺい」号(人吉ー吉松間)、「はやとの風」号(吉松ー鹿児島中央間)を走らせている。







途中で減速したり、一時停止しながら、見どころを車内アナウンスで教えてくれる。デザインは、JR九州のほとんどの列車を手がける水戸岡鋭治氏のものだ。



吉松駅で、「はやとの風」に乗り換える。



栗野駅のそばにある、湧水池。車窓からでもわかる透明度。



大隅横川駅。駅舎は明治36年からのもので、柱には太平洋戦争中の機銃掃射の弾痕が。





有名な嘉例川駅。こちらも明治36年からのもの。





霧島を抜けると、錦江湾沿いを走る。







鹿児島市が近づくと、車窓からは桜島が見えた。