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今の学生諸君がどうか知らないが、僕のいたころはそんなに盛り上がっていない地区予選1回戦の時点から、授業をサボって熊本城の山をチャリで駆け上り、球場に観戦に行くのが楽しみのひとつだった。連日東京も35℃の猛暑がつづいているけれど、同じかそれ以上の炎天下の中、あるいは夕立の降るなか、皆喜々としてスタンドにいたことを思うと、つくづく若さとはそういう心のもちようなのだと思うw。
試合後、ちゃんと学校に戻っていくのが今思えばみんなスレていないところで、男子も女子もズラッと廊下に正座させられて形ばかりの説教を聞くオチも含め、年中行事のひとつだったように思う。


3年生のときの最後の試合のこともよく覚えている。同じクラスで、出席番号で言うと僕の一つ後ろだったO君が最後の打者になってしまった。それだけでも息が詰まるような瞬間なんだが、彼の打球は、打った瞬間に誰が見ても試合終了を決定すると分かる平凡な内野ゴロだった。それでも彼は一塁まで全力疾走した。相手チームの一塁手は落ち着いて送球を受け、一塁を踏みしめて、投手の元へ駆け寄って行く。O君は既に誰も居ない一塁へヘッドスライディングをしたあと、砂を握り締めた拳をグラウンドに叩きつけたのだった。僕はそれを一塁側のスタンドから見ていたが、O君の手袋から砂が零れ落ちて行く時、あぁ自分たちの高校生活ももう終わりなんだなと、ものすごくハッキリと感じた。

…なぁんて書くと偉く熱い高校野球ファンみたいだけど、その実大したことはないです。でもその時は本当にそう思ったんですよw。なんとなく卒業式の日を迎えることよりも、ある意味ものすごく貴重な体験。

後日談になるけれど、O君は高校の体育教師になった。ほどなく赴任した高校が甲子園に出ることになり、結局彼は甲子園の土を踏むことになった。(さらに元チームメイトだったF君が某新聞の神戸支局員として彼らを取材することになるのだが、それはまた別の話。)

ともかく、高校球児が自分よりも年下になってしまってからもう10年も経ってしまったんだけど、今でもどういうわけか高校野球ネタは泣ける。以下の2つの記事もそうw。タッチとかH2とかには一切興味がないし、長澤まさみの実写化も見ていないし、第一僕にはそういう、自分自身スポーツで悔し涙を流したみたいな体験が欠落しているのに!w。なんとなく、その時のO君のことを思い出すからなのかな。

「帽子のつばに「お前はひとりじゃない」 天草・松下投手」
「耐えた練習「上を向いていこう」 熊本二・西口雄大主将」

そしてもう一つ気になる記事があった。

「女性団長、力強く応援 済々黌 熊本」

ふ〜ん、女子が団長ねえ…。時代は変わったもんだと思うが、これは僕たちの代でもそうだった。
野球の応援には応援団が欠かせないのだが、僕たちの世代だけ、應援同好会の部員が居ないという、後にも先にもない事態が3年間続いてしまったため、その最後の試合もやはり1学年下の団長K君が中心に立っていた。

卒業式では必ず当代の應援同好会部長=団長がステージに上がって、何かしらの話をするのが恒例行事だったが、それもステージに上がっのはK君だった。Kくんは僕と仲の良かった後輩Oの友達だったということで、接点がないわけでもないが、とくに会話らしい会話をしたことは無かったように思う。
最後のHRが終わったあと、僕はさる理由からいつもの仲間たちとの集合写真に写り込むことが出来ずに、ひとりで帰る羽目になってしまった。記憶が定かでないのだが、どういうわけだか帰り道で一緒になったのがK君だった。会話もよく覚えていなけれど、別れ際に「今日はおめでとうございました、これからも頑張ってください」的な、実に折り目正しい挨拶をされた。K君とはそれきりだったけれど、先日のガイアの夜明けで、大手ラーメンチェーンの上海出店にあたり、現地で中国人に品質の指導をしている社員の様子が放送されたらしいが、その社員がほかならぬK君だったと聞いて思わず吹いた。

今日の地元大会の第四試合で出身校が敗れてしまったため、突如有給を宣言して甲子園に行く、という僕の夢もおあずけにしまったが、死ぬまでに一度体験できればいいと思っているので、気長に待ちます。そのときはO君やK君にも会えるでしょう。
話がそれてしまったけれど、この時期になると、そんなことを思ったりします。
指摘を受ける前に言っておきますが、僕は「フレフレ少女」には興味はありませんし観たいとも思いません。

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それにしても良い時代です。地元のテレビ局の中継を東京で見ることは不可能だけれど、Twitterで実況してくれる人なんかもいて、ほとんどタイムラグ無く状況を把握できます。そのうちUstream放送なんかするひとが出てくれば完璧ですね。