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マルタは一時期は実質フランス領、
そして1979年までは英国領だったので、
第一次、第二次大戦とも、ドイツ軍などの攻撃を受けている。

そういう戦時下の遺構として、地下に掘られた防空壕が公開されている。

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7ユーロ払って、まずは20分くらいのDVDを見させられる。
そのあと、ヘルメットを配られて地下へ。

その回は、僕と、フランス語を話す老夫婦の3人。
促されて僕が先に降りたのですが、老夫婦はとっとと引き返してしまい、
暗く、深く、そしてアリの巣のように複雑な穴の中に取り残される。

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ヤバい。迷路みたい。しかも、うわあああああああ病室みたいなところに!!!

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おそれをなして、奥深くまで入らずに、僕もすぐ戻って来てしまいました。
ヘルメットを返すと、係のおっさんに「もう出んのか。意外に早いんだな。」とか言われ、
7ユーロも払ったわりには、くそみそな結果に終わったのでした♪

さて、マルタにおける戦争の中で、日本が絡んでいるもののあります。
そもそも、日本とマルタの関わりというのは非常に薄いですから、
逆に言うと、数少ない関連の中のひとつに、戦争があるということでしょう。

第一次大戦時の日本の動きとしては、「シベリア出兵」とか、
戦死者が参加国中最も少なかった、
というような話を教科書で僕も学んだわけですが、
日英同盟に基づく連合国側への協力として、
ドイツ軍艦隊が狙っているマルタ島周辺海域の護衛を目的として、
艦隊が編成され、派遣されたことはあまり知られていません。
(有名どころで言うと、若い頃の山口多聞が参加している。)
さらに、その艦隊のうち、この海域で戦没しているひとがいることも。
僕も、観光のためにいろいろ調べている途中で知った話です。

[DNDメルマガ]vol.117 続マルタ:駆逐艦「榊」の真実

で、その碑があるということで、前述の資料館のついでに見てみようと思い立ちました。
が、しかし、旅行前にネットでいろいろ調べたが、正確な場所はつかめず。
「地球の歩き方」にも、おおまかな地名と、16時まで、ってことしか載ってませんでした。

資料館を出たのが15時頃。
とりあえずそっち方面行きのバスに乗り込んで、終点を目指そうと思ったら、
循環路線で、気付くと再び資料館前に!!

まずい…と思った時にはもう15時半近く。
再度トライするか迷ったが、せっかくなのでともう一度バスに乗った。

途中、運転手はどこに行きたいのかと聞いて来た。
英国やその他の海軍関係の碑と一緒にあるというのは載ってたので、
British navyのCemeteryとか言ったが、全然知らないらしい。

まぁそりゃそうだ…途中どっかで降りて、地元の人に聞くか…と思っていると、
窓の外に、"Naval Cemetery"というのが見えたので、コレに賭けるしかないと思って、
次のバス停で降りた。
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標識から数十メートル行った所に、それらしき場所があって、門があったが、完全に閉まっていた。
折しも雨が落ちて来て、おいおい、終わったか…と思いつつも、
別に入り口はないかと、塀伝いに歩いてみた。

……なんかあった!

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おおっ!
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これだ!自宅で見た「マルタ旧日本海軍墓地の行き方」に載ってた写真と同じだ!
(帰国後再度このサイトを見ると、上述の標識のことも書いてありましたね。)
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ちょうどここで、、カギを閉めにきたのか、爺さんが車に乗って現れた。
「あそこにある」と場所を教えてくれた。
で、ようやく到着。

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横の墓碑を読むと、駆逐艦「榊」ほか、戦没者の遺体は元々はもっと辺鄙な場所に葬られていたそうですが、
それだと日本人は誰も来ないだろう、ということで、ここに改葬されたという話です。
うーん、ココでも、年に何人の日本人が来るんだろう、と、少々複雑な心境になりました。。。
(ただ、周囲もふくめ、非常に綺麗に手入れされていたことは確かです。
 そして、ここまで来る奇特な旅行者はそうはいないと思ってましたが、どなたかがお茶をお供えしてますね。)

雨が激しくなってきたので、早々に退散。

日本に比べると年間雨量が圧倒的に少ないマルタでも、
6月はとくに雨の少ない時期(平均降水量は1.2mmとか)。
この日は珍しく、このあともしばらく雨模様でした。

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