ひとり暮らしも終盤。




29日。代々木のオリンピック青少年センターに学生主催のイベントを見にに行く。運営の学生さんたちも一生懸命でした。加藤嘉一さんの話がなかなか面白かった。
PA296773


30日。
■神保町の古本まつり
前回から、もう1年経ったのかという感じですね。

神保町に来たからにはカレーを食べないと行けないのですが、日曜日は多くのお店がお休み。ガヴィアルさんが開いていたのでこちらに入りました。
IMG_1422

食べ終わったあと、道端のポスターで知ったのだが、同じ日に近くで「神田カレーグランプリ」なるイベントが開催されており、非常に悔しかったですw。いや、もちろんガヴィアルのカレーも絶品ですけど。

IMG_1424

古本まつりは今年も大盛況。つい先週、大量に本を処分したところ(学生の頃集めた専門書なので、ブックオフではどうせ100円とかそこらだろうと思い、後輩に送りましたw)なのですが、ここにくるとついつい手が伸びてしまい、色々と買ってしまいました。

あれこれ物色している間に、雨が落ちてきて、歩道の書棚にも一斉にビニールシートがかけられてしまったので、僕も退却。

■出光美術館
長谷川等伯と狩野派展を見に行きました。
「竹虎図屏風」左隻に、作者等伯のライバル・狩野探幽が書き加えた「これは周文の筆によるもの」という署名。等伯が描いたと知ってたのか知らなかったのかはよくわからないですが、前者だったら随分ひどいことをしますよねw

3日は旧軍関係の史跡を。

■市ヶ谷記念館(旧陸軍士官学校本部)



市ヶ谷の防衛省。敷地内にあった旧庁舎は記念館として移築されています。
この建物、講堂は東京裁判の法廷になり、2階の旧総監室では三島由紀夫が割腹自殺を行った場所という、さまざまな歴史の舞台になった場所です。残念ながらこの日は内部は見学できず。三島が演説を行ったバルコニーは当時のまま。平日は見学を行なってます。



■東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)



1910年竣工。大正時代、近衛師団長となった秋山好古もここに勤務したようです。この時代の、とくに旧軍関係の建物で都内で残っているのは稀だと思います。この日は文化の日で、東京文化財ウィークの期間でもあり、無料で中に入れました。

■陸上自衛隊衛生学校彰古館(三宿駐屯地)


旧陸軍の史料の中でも、医療にまつわるものが保管されているのがこちら。
歴代軍医総監(森鴎外とか。)の肖像画を始め、西南戦争から第二次大戦に至る様々な戦傷の治療の様子、手術器具などが展示されています。(そういう性格のものゆえ、なかなかショッキングなものもあります)

熊本における神風連の乱や西南戦争は、刀による最後の戦闘であると同時に、本格的な近代兵器による戦闘の幕開けでもありました。当時の軍医たちは、絵師たちを招集して、こうした戦闘による傷や治療の様子を克明に記録させており、その絵図も展示されていました。また、日露戦争にて戦死した乃木希典の長男・勝典の体から摘出された銃弾など、こんなものがあるのかという史料の数々に非常に驚きました。

とにかく、中の写真がお見せできないのがとても残念。担当の職員の方がボランティア的に史料の整理・公開、そして説明等を行なってきたそうですが、事業仕分けの影響もあり、このあたりに予算が付かなくなってしまったそうです。この担当の方も来春には定年を迎えられるそうで、見学できるのは今のうちかもしれません。こちらも平日には見学させてくれるそうなので、興味のある方はぜひ。


夜は熊本関係の諸先輩方と飲む。政令指定都市になる熊本市の区の名前には、私も含めみな大いに不満ですw。

キリンジのライブに行ってきた。
前日に出た、提供曲をセルフカバーしたアルバムからの選曲も。(10〜13。)

1.スウィートソウル
2.鋼鉄の馬
3.温泉街のエトランジェ
4.牡牛座ラプソディ
5.クレージー・サマー
6.悪い習慣
7.柳のように揺れるネクタイの
8.Lullaby
9.地を這うものに翼はいらぬ
10.ハルニレ
11.私の青い空
12.お針子の唄
13.それもきっとしあわせ
14.風を撃て
15.僕の心のありったけ
16.Golden harvest
17.太陽とヴィーナス
18.絶交
19.ジョナサン
20.夏の光
21.鼻紙
22.くよくよするなよ
23.あたらしい友だち


初期から最近のものまで、そしてシングルというよりはアルバムから、という、なかなか通好みな選曲ですよね。(本人たちも「今日はマイナーなものをやる」と宣言してましたが。)ファン歴10年超の私などは、曲ごとにそのリリース当時のことを思い出したりなんかして、しみじみしてしまいました。
兄のギターも弟のボーカルも、今まで数回見たライブの中でベストと言っていいくらい素晴らしかったですし、このセットリストも含めてなんというか集大成感があって、もうこれで最後なんではないかとさえ思った(笑)。

客層は相変わらず僕と同世代か、ちょい上くらいに見受けられる方が多いですね。twitterのTLを見ていると、主婦も多いようでした。10年前はサブカル女子大生だった方々も、もう年齢的にはそうですよね。

提供曲のカバーですが、女性向けの曲を彼らが歌うのも不思議な魅力があって良いですね。
どちらかというと僕は時々意表を突くメロディとコード進行を繰り出してくる兄派なので、兄提供曲のを思いつくまま並べてみる。

■SMAP「愛の灯〜君とメリークリスマス〜」


■かせきさいだぁ≡「午後のパノラマ」


■CHOCOLAT「宇宙のトンネル」


■ミズノマリ「春の嵐」


■古内東子「somewhere in TOKYO」


■坂本真綾「ムーンライト(または"きみが眠るための音楽")」


■藤井隆「未確認飛行体」


■土岐麻子「ロマンチック」


■鈴木亜美「それもきっとしあわせ」


■bird「髪をほどいて」


■南波志帆「プールの青は嘘の青」



関連記事:
『SONGBOOK』にみる、職業作家としてのキリンジ

〜Connoisseur Series〜KIRINJI「SONGBOOK」
〜Connoisseur Series〜KIRINJI「SONGBOOK」
クチコミを見る

お宮参り

PA096220


生後一ヶ月、体重は2,000g近く増加。身長も5センチほど伸びました。
検診では体重の増えすぎを注意されたそうですが、とにかく健康で何よりと思う。
3週間ぶりに会いましたが、確かに顔がパンパンですw。

そんなわけで、連休はお宮参りに行ってきました。
4

移動中はずっとむずかっておりましたが、いざ拝殿で儀式がスタートすると熟睡。帰るまでずっとおとなしくしていてくれました。(その後再び泣き始めましたが。)

着ている羽二重は、僕がお宮参りで着たもの。なんかそういうのって良いですよねー。
↓30年前。
05


そういえば父が披露宴で着た羽織袴は、祖父が結婚のとき作ったものと聞いてます。

ちかごろは土日もなんだかんだでバタバタしていて、美術展もハシゴになってしまっています。
今回も、この連休でお終いの展覧会を駆け込みで見てきました。

没後50年・日本民藝館開館75周年 −暮らしへの眼差し− 柳 宗悦展

柳が取り組んだのは、普段は暮らしの中に埋もれているがゆえに、誰も美術品とは看做していなかったものに対して、美を見出し、価値付けを行なっていく作業だった。
ブランドものでなくとも、自分が良いと思ったものが良い、と信じて突き進むというのは、今も昔もなかなかできることではないでしょう。
今でこそ、"お洒落なインテリア"として扱われてしまうような品の数々。あるいはku:nelだのリンネルだのと行った、北欧趣味にも通じると思われる品の数々。これらを昭和初期に掘り起こし、世に訴え続けた情熱。素晴らしいなあ。

あわせて開催されていた銀座・手仕事直売所の商品もどれも欲しかったですが、いかんせんお値段が高いので断念。

名物刀剣 宝物の日本刀 - 根津美術館

Wikipediaの日本刀一覧の項目にも出ているような著名なものも出ている展示会。銘、刀匠、作刀年代とセットで、作刀後、どういうひとたちの手を経て、最終的に現在の所有者に落ち着いたのかが付されていたので、大変わかりやすく興味がつきない。

とくに今回の目玉のひとつ、今川義元を倒したときの戦利品として信長が愛刀とし、その後秀吉、秀頼、家康…と受け継がれた刀、「宗三左文字」も。他にも光秀が本能寺の変の際に奪った刀などなど、刀を通して武将たちのドラマが見えてくるようだった。若いひとも多くなかなかの混雑ぶりでした。

参照:
名物刀剣 ―宝物の日本刀― - インターネットミュージアム

子育て




17日の夜から20日の昼過ぎまで、鹿児島へ。
もちろん外出などはせず、みっちりと、子育ての、"序章"の部分を味わいました。




1時間半〜3時間おきにくるおむつの取替・授乳のサイクル。
弟とは12歳離れているので、おむつ交換など、ある程度は大丈夫でした。ただ付きっきりとなると、いつもとは全然違うサイクルゆえ、明け方などは眠くて眠くて、なかなか大変でした。
沐浴もやってみましたが、本人のスッキリした表情とは裏腹に、こちらは大変緊張しますね。




ご覧のとおり、合間合間に写真を撮りまくりました。一眼は重いし手間という妻の意見で、急遽canonのPower Shot S90の中古を入手しましたw(機種選定にあたっては、同僚のみなさんにアドバイスをいただきました。)。枕元には一眼、コンパクト、ビデオカメラが常時待機。あと二人分のiPhoneも。早くも親ばか全開ですね。

その他の写真

はじめまして

IMG_1178 IMG_1197 IMG_1201

どうも。予定通り、40週と0日でこの世に生を享けました伸太郎です。

先週の土日まで、遅れそうだね、と話していたのに、月曜日の早朝異変を感じ、8時ごろ入院することになりました。僕も午前中だけ仕事をし、そのまま昼過ぎに羽田空港に向かいました。

病院に到着したのは17時ちょうど。病室に入ると苦痛に身を歪めている奥さんが居て、どうしようかと焦りを感じました。そのまま義理のお父さんお母さんとバトンタッチし、10分前後のインターバルで起こる陣痛の度にさすったり支えたりしながら、22時ごろ助産師さんに言われてLDRに移動。このときは、僕も本人も、明け方には、という気持ちで居ました。

ところがここからがまた長かった。プロセスとしては10分から5分へ、5分から2、3分へと、胎児の下降と産道の拡張に併せてインターバルは短く連続し、痛みもより強くなっていく、はずでした。実際は0時を過ぎても、3時を過ぎても、夜が明けても10分程度の間隔に変化は見られませんでした。僕も途中うとうとしたり、食事を取ったりしながらも、傍に付き添っていました。その間奥さんは飲まず食わず。嘔吐したりしながら、次第に衰弱していくようで、本気で心配しました。

間隔を狭めるため、陣痛促進の点滴を打つことになりました。これで午前中には…という話も出ましたが、やはり状況は一進一退を繰り返し、変化なし。

お昼前に、お医者さんから、あと1時間くらい様子を見て変化がなければ無痛に切り替えましょうという話があった。1時ごろ、陣痛の合間を縫って背中からカテーテルで麻酔を注入。一連の作業も横で見ていましたけども、苦手なひとはダメだろうな、という感想w。
麻酔が効いてきて、表情も少し和らいできましたので、さてクライマックスの前にと思い、助産師さんと奥さんにに少し休憩しますと告げ、近くの銭湯でさっぱりし、1時間ほど仮眠。

15時過ぎに戻ると、産道がバッチリ開いていますということで、お医者さんも、さあ行こうかと臨戦態勢に。
心の準備もままならないうちに、ベッドの両足の部分が別れて動いて、おなじみの出産の体勢に。
10回くらいいきんだでしょうか。本人は感覚が鈍麻していたのでよくわからないと言っていましたが、15時34分、スルッと生まれてきました。

終わったーと二人で涙ぐんだ瞬間、旦那さんハイ臍の緒!と有無を言わさずハサミを握らされ、「ど、ど、どの辺ですか」と聞きながら"テープカット"。一発では切れず、少しずつハサミを入れましたが、血も出るし、滑ってなかなか切れなかったです。
また一息ついたかと思ったら、今度は旦那さんハイ胎盤!とトレイに入った胎盤を目の前に持ってこられました。話に聞いたとおり、でかいレバーでした。美味しそう、という人がいるのも理解ました。
ともかく血を見るのが苦手な方は、本当に駄目だと思いますね。旦那さんにもだいぶ参加させたり見せたりするお医者さんでしたが、そういう方針なんでしょう。僕は良いと思います。
(このあたりの様子は、僕が持ってきたビデオカメラをお医者さん自ら撮影してました。きっと感動と動揺でちょっと色を失っている僕が映っているでしょう)

このあとLDRで出された晩御飯には、諸々を彷彿させる、マグロの山かけが入っていて、苦笑いした次第。
そのあとも、夜21時までは新生児と一緒に居ました。翌朝まで、奥さんは足腰が立たない状態でした。

というわけで、それぞれの家庭にそれぞれのドラマがあって、所要時間が長かった人も短かったひとも、奥様は奥様で、旦那様は旦那様で、それぞれのエピソードと思いを抱えているはずなので、特別自分が熱いものを持っているとは思っていないのですが、一応記しておきたいと思います。

昨年の正月、祖父が亡くなり、僕はこの歳にして(物心ついてから)初めて身近な人の死を体験しました。人生の意味というか、そういうことにも、わずかながら向きあう機会になりました。そんなことは人それぞれであって、正解も糞もないと思いますが、ひとつだけこれは確かなことではないかと思ったのは人も生き物である以上、次の世代へ命のバトンを繋げるということでしょうか。
お医者さんに促されて、奥さんの身体からこの子の頭が出てきたのを見た瞬間、そんなことがふと頭をかけめぐって、本当になんとも言えない気持ちになった。
(この子の存在がわかったのは、その祖父の一周忌の日だったということも、そんなことを思わせる要因だったかもしれません。)

だからというわけではないが、この度子どもを持つことになって、僕自身も独立した生ではなくて、何千年と続くリレーの輪の中に入れたように思えたし、なんだかそういう報告をご先祖の墓前でしてみたくなりましたw。

まだ実感が湧かないというところもありますけれども、日々のニュースを見ても、音楽を聞いても、映画を見ても、これまでとは違う見方感じ方が出てくるんだろうなあと思います。

というような堅い話は抜きにして、僕が来てから23時間あまり、僕が到着するまで含めるとおよそ30時間、5〜10分おきに訪れる激痛に、ほぼ黙って耐えた奥さんには、本当に恐れ入りました。
東京と鹿児島という距離、交通機関の制約からして分娩には立ち会えないものと踏んでいたので、今回のことは想定外でしたが、やはりこの時間を一緒に過ごせてよかったと思っています。

「痛い」「辛い」「嫌だ」「やめたい」「助けて」などという、そんな言葉はついに彼女からほとんど聞かれることは無かった。
あとで本人にそのことを話たら、無痛に切り替える前、すなわち麻酔を投入する直前の最も痛みの激しいときに、2、3回だけ「痛い」と言ってしまったと返された。よく覚えてましたね。そのとおりです。そこまで把握されているのですねごめんなさい、としか言えない。

明けて7日、午前中に市役所で届出を済ませ、夕方には僕は東京へ戻りました。奥さんはお産したその日から、授乳や夜泣きであまり眠れないなど、再び休めない日々が始まりました。この気力胆力、この人のことは生涯尊敬せざるべからず。

また、この間、励ましのメッセージや祝福のメッセージをくださった職場や友人の皆さん、突発的な休みにもかかわらず快くカバーしていただいた同僚の皆さん、本当にありがとうございました。

■名前のこと
周りには史上の著名人の名前だとかw、あれこれひねくり回して付けるのだろうと言われ続けてきたのですけれども、僕としてはそんなつもりはさらさらなくて、

・誰でも読めること。シンプルであること。
・画数はなるべく少ないこと。

だけはモットーにしたいと思っていました。
それは僕自身、名前は姓名トータルで21画であり、学習指導要領によれば小学校3年に上がるころには一応誰でも書ける漢字で構成されているで。これは両親が謀ったわけではなく、たまたま、なのですが、試験開始の予鈴が鳴り、他の者がまだ名前を書いているうちに、僕は既に1問目に取り掛かっていた、などとということも関係しているでしょうw。

と、僕のこだわりはそこだけで、字画がどうのとか、姓名判断がどうのとかいうのは一向無頓着。奥さんにほぼ任せきりでした。
一緒に考えて出てきた幾つかの候補のうち、最終的に決まったのは、両方の爺さん、そして僕の名前から一文字ずつ取って、というやはり単純明快なものでした。

思うに課題が山積し、のみならず震災という、歴史に残る国難の年に産まれ、生きていくこれからの日本は、決して気楽なものではあり得ないと思います。そんな中にあっても、名前の通りにのびのびとまっすぐに、自分をしっかりと持って育って欲しいと思います。

仏教に触れる



台風の進路は西へ西へと逸れ、多少の風はあったものの、結局土日はほとんど晴れと言って良い気候だった。暇すぎてついに坐禅にまで手を出して来た。

空海と密教美術展
公式サイト

行こうかどうしようかずっと迷っていたが、大学時代の友人が僧侶として働いている高野山には一度行ってみたいと思っているし、それなら予習として押さえておくべきだろうという思って行ってきた。

行くのをためらっていたのには、"密教美術"というものに今ひとつ興味が持てずにいたことがある。(もっと言えば平安文化。)
そのものを美術として見たときに、興味を惹かれるのはやはり時代としてその後に来る禅宗の書画や庭園であって、密教の曼荼羅や法具の類を見ると、自分たちのルーツにあるものというよりは、遠い世界の美術というか、どこか海外の美術を見ているような思いになってしまうのだ。
逆に言えば、この禅宗美術への親近感というのは、おそらく僕たちの精神、生活の中に禅宗の影響を受けているものがあまりに多いからだとも言えるのだろうけど。

とはいえ、「国宝・重要文化財98.9%」と謳っているだけあって、大変勉強になりました。
中学・高校の修学旅行で行ったし、その後も2、3度行っているはずの東寺からの出品が大半でしたが、とくに仏像は今回の展示ほど間近に見ることはできなかったように思います。密教における仏像の装飾が独特なものであることを改めて認識。まだ訪れることの出来ていない神護寺・醍醐寺のものも多数ありました。

とりわけ印象深かったのは、書の領域でした。空海の書は変幻自在、草書もあれば隷書もあり。もちろん僕には良し悪しなどは分からないのですが、行書のものはまるでPCから印刷したような美しさの中にも感情の起伏があるよう。お客さんの中で、そちらの心得のある人が結構いたみたいで、あちこちから「あの"夢"の字は凄い」「あそこの払いが凄い」などと、絶賛の声が聞こえていました。

ピークは過ぎたそうですが、館内はなかなか混雑していました。昨今の仏像ブームのせいか、女子大生のグループみたいなのも結構いたし、果ては制服の女子高生までが居た(仏教系の高校の生徒で、見てこいと言われたからのかもしれないけれどw)。


坐禅に初挑戦
この日、たまたま西武新宿駅からすぐの「長光寺」さんで無料の坐禅体験があるということがわかったので、恐る恐る参加してみた。真言宗の直後に曹洞宗ということをしても怒られないのが日本のいいところ。

坐禅といえば鎌倉でOLがみたいなイメージがあるのでw、若い人も多少はいるだろうと思っていたが、驚いたことに、むしろほぼ20代で半数は女性だった。人数が集まりすぎて、道場に入り切れない人もいた。みんな何がきっかけでここに来たんだろうか。Gyaoで聖闘士星矢の再放送やってるし、おとめ座のシャカを見て思い立ったんだろうか(そういえばあれは宗派で言えば何に近いんだろうか。)。

地下の道場に案内され、住職さんに座り方などの説明を受け、壁に向かって30分の坐禅開始。
これがたいへん難しい。月曜からのことや、終わったら何しようか、などなど雑事がとめどなく浮かんでくる。ときどき空っぽになる瞬間も訪れるのだが、あー今何も考えてねーと思った瞬間ダメでw、後半に足もしびれてくるし、寝不足もあって次第に眠気も襲ってくる。
終わったあと、再び住職さんの法話を聴く。聴かずに帰ってもいいよと言われたが、そこで帰った坐禅ボーイズ坐禅ガールズは居なかった。みな充実の表情だったw。

とにかく30分間が非常に長く感じられたことと、しばらく足の痺れが残ったのが一番の印象なのですが、たった30分でも何かに耐えてじっとする、ということが日々の生活の中であまりに少ないということを痛感させられたことだけでも大きな収穫でしょうか。機会があればまた参加してみたいと思う。


さて、「空海と密教美術展」のウリ文句で、「オーラを浴びる」というのがあった。また坐禅会が終わったあと、「マイナスイオンが、α波が云々」と話している女性もいた。

仏像にしろ坐禅にしろ、このブームが単に伝統文化への興味関心がベースであるならばまぁ大変結構なことだろうと思うのだが、多くの人が"癒し"とか、悩み解決の拠り所して仏教を持ち出しているのだとしたら、それは果たして健全なのだろうかとも思える。

日本史上、仏教がブームになったのは戦乱や飢饉・疫病が蔓延したときや、自己修養が流行ったときだったと教わった。もちろん、かつてのお寺の役割のひとつに地域のよろず相談所という機能もあったのだろうけど、現代の日本人が、家族や友人知人、地域の包摂性、そして自分自身で種々の悩みを解決しきれずに仏教に入ってきているのだとしたら、伝統回帰以上に寄る辺なさが際立ってきている証拠なんじゃないか。

Getty Images

先日Flickrアカウントの方に、写真素材大手のGetty Imagesさんから連絡がありまして。
曰く、アナタのアップしている写真のうち5枚を"店頭"に置かせてくれ、という内容でした。

aa6f0cd8e758f3b77c3df66f04b2b2f9


こういうことはよくある話のようで、Gettyの方も実にマメだなあと思うのですが、
元よりインターネット上に公開してるものですので、どうぞどうぞ使ってください、その上場合によってはいくばくかのフィーも頂けるとは素晴らしいと思い、okすることにしました。
ただ、このオファーから始まって、すべての手続きが英語だったので、なかなか骨が折れました。

1枚目は、ちょうど1年前に見学した富士総合火力演習から。



2枚目は、去年行った日光の、輪王寺大猷院。



3枚目は、年末の京都の、大徳寺龍源院の枯山水。



4枚目は同じく京都ですが、2007年のもの。化野念仏寺の裏山の竹林。



5枚目は荻窪の公園で撮ったもの。



良し悪しというのは人それぞれだと思いますが、ナゼこれらの写真が選ばれたのかはよくわからない。
露出なんかがうまくいっているとは思えないものもありますし、それぞれのセットの中で僕自身がもっと気に入ってるのがあるのですが(笑)。
まあ、海外でメジャーなサービスですから、日本的なるものがチョイスされたのだと思ってます。
(そう考えると、確かに5枚目は外国の方が喜びそうではある。)

まず、Gettyのサイトに移動して、アカウントをつくれと。
つくると、規約を読まされ、決済方法、税金等々聞かれます。
米国便の機内で書かされるような文書が出てきて、TAXなんとかかんとかのIDとか色々書かされるのは相当困りました。

adf94fbf3bdc88f07b53a62eba35eda2


b699dcb6b22e9e865753f9424fea6ced


cda65e296c411343d13bec6ee723c6f9


心折れそうになりながら(いや、いま思うと別にやらなくても良かったんじゃないという。)完了。

すると今度は写真の説明を英文で書かされる。やめてー!

3df66c66d3dd0d4c73e8fa40a8109ce7


しかも、元画像が一定のサイズないとダメって言われる。うち2枚のオリジナルファイルはHDDに格納してたし、めんどくさいのであきらめる。
申請。ここでもまた審査があり、しばらく放置。
2週間くらい経ってみてみたら、Gettyさんに置かれてた。めでたしめでたし。

Getty Images

感想:もうちょっと親切ならいいのにというのと、欲しければ個人的に連絡ください。というか勝手に使ってどうぞという話。よくよく考えるとGettyさん美味しいな。

鹿児島

いよいよ予定日まで残すところ二週間あまり。
様子を見に、土日を利用して一ヶ月ぶりに鹿児島へ。
またしても観光・うまいものになってしまいましたが…。

鶴丸城のハスも、産まれる頃には満開になっているでしょうか。



最近になってできた天璋院の像。当然のことながら宮崎あおいのイメージはどこにもないw。



持ち帰りで「白熊」を食べ。





錦江湾の花火大会を見て。



妻が買い物の間、鹿児島中央駅徒歩3分のところにある銭湯へ。
しかし、鹿児島の銭湯には、ほとんど煙突がない。なぜなら、温泉だから!
非常に昭和の香りのただようここ「みょうばん温泉」は、源泉かけ流し。



番台にはおばあさん。壁のタイルはところどころ剥がれwなんとも言えない味わい。



示現流兵法資料館では、道場も見せてもらえる。
この道場は、江戸時代に宗家が島津家から拝領した敷地に今もある。



八双の構えから右袈裟、左袈裟とひたすら木刀(棒)を立ち木に打ち込み続ける訓練が基本ゆえ、このとおり側面が削れた木が。




駅前のしらす専門店「」さんでしらす丼。これは本当におススメ。



照国神社で最後の安産祈願。



鹿児島も、帰ってきた東京も、すこし涼しくなってきました、秋の気配ですかねえ。

津波に耐えた日本酒

ここのところ我が家には日本酒も焼酎も余っている状態なので、酒屋からはすっかり足が遠のいていた。
日曜の午後、数ヶ月ぶりに近所の酒屋「酒舗石塚」さんに入ってみると、"津波に耐えた日本酒"というのが置いてあった。
この酒屋さん、知る人ぞ知る的なお店で、蔵元から直接仕入れた、それこそ限定モノなお酒が沢山置いてあるところである。

この日本酒は宮古市の蔵元「菱屋酒造」のものであるという。御存知の通り宮古市は津波で壊滅的な打撃を受けており、菱屋酒造があった地区も例外ではなかった。
貯蔵してあったお酒のほとんどは流され、瓶詰めされたものも割れてしまったものが多数だったという。その中で残ったもののうち500本を、このお店では引き受けて販売していたそうである。

とはいえ、僕の目の前にあったのはたったの1本。3ヶ月で500本は次々と売れ、これが最後の1本だということだった。
普段一升瓶は買わない方針でいるのだが、ほんのわずかながら支援にもなるだろうし、もうこれは買うしかないと思った。

P8145704


ご覧のとおり、ラベルも無く。
皆様、ぜひ飲みにいらしてください。

■参照:
日本酒50ケース生き残った!新ラベルで売り出し - スポニチ Sponichi Annex 社会(4月18日)
・【練馬区】岩手県宮古市で津波に耐えた酒500本、練馬区の酒店が販売 - TokyoCivicTelevision

このページのトップヘ

見出し画像
×